コラム/パブリシティ Column / Publicity
Artist Talk vol.2
作・編曲家/ピアニスト:谷川賢作(たにかわ けんさく) part-1 「軸足を決めない強み」

1960年東京生まれ。
ジャズピアノを佐藤允彦に師事。演奏家として、現代詩をうたうバンド「Diva」 、ハーモニカ奏者続木力との
ユニット「パリャーソ」、また父である詩人の谷川俊太郎と朗読と音楽のコンサートを全国各地で開催。
80年代半ばより作・編曲の仕事をはじめ、映画『四十七人の刺客』、『竜馬の妻とその夫と愛人』、
NHK『その時歴史が動いた』テーマ曲等。88、95、97年に日本アカデミー賞優秀音楽賞受賞。
近年では、06年びわ湖ホール制作『雷の落ちない村』の音楽監督。ピアニスト舘野泉に組曲
『スケッチ・オブ・ジャズ』を献呈。画家・山本容子の絵とエッセイで綴る『Jazzing』の音楽プロデュース。
兵庫県立芸術文化センター制作の音楽劇『赤毛のアン』、09年横浜開港150周年記念事業
『DO-RA-MA YOKOHAMA150』の音楽監督。富山県文化振興財団委嘱作品
『少年少女のための交響詩 〜めざめる羽 はばたく四季』(作詞/覚和歌子 作曲/谷川賢作)初演。
http://tanikawakensaku.com/

谷川賢作氏の作曲家としてのキャリアだけでも、充分成功者と言えるだろう。映画音楽では日本アカデミー賞優秀音楽賞を3回受賞、 NHK「その時歴史が動いた」のテーマはほとんどの日本人が耳にしている。しかし、彼の活動は決してそこだけに留まらない。
現代詩を歌うバンド“DiVa”、ハーモニカの続木力氏とのバンド“パリャーソ”、そしてソロ活動と、演奏の機会があれば海外にまで飛んでいく。
父、谷川俊太郎氏とのステージや作品作りも数多い。「俊太郎さんの息子さん」と呼ばれ続けることが快いはずもないが、 そのことともうまく折り合いをつけているのは、父子がそれぞれの才能とセンスを認め合っているからに違いない。
「自分のやりたいことは、自分で場を作ってでもやる」というマルチな活動の根底にあるものを聞いた。
(interview:O.B.J.Planner 今井コウジ/宮原麻子)
今井 谷川賢作さんは、ミュージシャン、作曲家、アレンジャー、或いはそれ以外でも色々なプランナーなど、様々な活動をされていますが、活動のスタンスとしてどのように 使い分けていらっしゃるのですか?
谷川 使い分けてはいません。ただ、対世間ということでいえば「肩書き」というのはとても重要なので「作曲家」「ジャズピアニスト」「音楽プロデューサー」等仕事の内容で 肩書きは変えて書いてくださるようにお願いはすることはあります。が、表現者としての自分はもちろん変わるはずもなく、なんだか不思議な感覚です。
今井 我々は賢作さんのことを乱暴に「マルチクリエーター」という言葉でお呼びしたりしますが、色々な事をやられている中でどこに軸足をおいて活動していらっしゃるのでしょうか? 敢えてご自分の職業を言うとしたら、何になるのでしょう?
谷川 「音楽家」という肩書きで曖昧にしておいて頂くのがありがたいんですけれど、音楽家という肩書きはなぜか記者さんたち、嫌うんですよね。軸足はないですが ひとつひとつが大きなプロジェクトで大きなお金が動くのが“作曲”なんですよね。“作曲家”として「その時歴史が動いた」みたいなものを1つ書くと やはりネームバリューもアップするし、そちらに軸足を置くことは大切だとは思うのだけど、でも僕は、パリャーソみたいな小さいバンド活動は継続してやっていきたいんですね、 そこに僕の音楽活動のスタートラインがあるし、いつも人前で“ライブ”をして、聴衆とやりとりしたい。
今井 5月の「ふしぎの森へ」という子供ミュージカルでは、音楽監督をされていますよね。
谷川 “ZERO キッズ”というNPOとのミュージカルは、8年で3本目。毎回、お金もかかるし準備もおおがかりなので大変ですが、 大勢の人間が一丸となって作品を作っていく醍醐味はなにものにもかえがたい。こどもたちも本番が近づくと、よりいっそう一生懸命に 取り組むのはすばらしい!でもふだんからの訓練も大切だよ、と一言釘をさしておこうかな。